minamif011203 「地方自治論」レポート
「小学校におけるへき地教育と地域住民との関わり」 k000149 南 史代
1、はじめに
みなさんは「へき地教育」という言葉を聞いたことがあるだろうか?へき地教育とは、へき地にある小学校、小規模校、複式学級を有する小学校がその特性を活かし、その地でなければできない学習を行うことだ。私がこの言葉を知っていたのは、自分がその教育を受けたひとりであるからだ。私が育った小学校は、過疎化と少子化による、生徒数の減少によって、平成10年、廃校となったが、そこで学んだことは、私の中に今でも大きく残っている。みなさんもそうだと思うが、小学校のころに学んだことは、いくつになっても頭のどこかに残っていて、何より、そこでした様々な経験、出会った友人、先生方、得た思い出は何物にも変えがたいものである。私は、小さな学校だからこそ、学べたことが数多くあったと思うし、そこで出会った人たちは、今でも大切な人であるし、現在の自分自身をつくった場所であると感じている。へき地教育は、それに関わる人にしかあまり知られておらず、多くの人はどんなものか想像がつかないはずだ。現在、へき地教育を行っている学校はまだまだありますが、それらの学校自体が廃校、統合によって、少なくなっていることも事実です。だから私は、みなさんにもっとへき地教育について知って欲しい、そして、その良さを知ってもらい、これからもへき地教育が続いていって欲しいと思い、このテーマを取り上げることにした。このレポートを通して、私自身もへき地教育の利点、欠点、すばらしさについて、もう一度考えてみたいと思う。
2、駒帰小学校の場合
(1)駒帰小学校の紹介
私が育った、金沢市立駒帰小学校は、県庁所在地である金沢市にありながら、とても山奥の、自然に囲まれた環境の中にあった。小学校を中心として点在する、小学校から徒歩約15分以内にある5つの町から、そこに住む小学生が通っていた。私が6年生のとき、全校生徒は、14名、先生が6名だった。少ない中で、学年関係なく、生徒同士、そして、生徒と先生は密接な関わりを持ち、学校全体がとても仲の良い学校であった。生徒も先生も自分たちの小学校が大好きだったし、ずっと小学校はそこにあり続けると思っていた。しかし、平成10年3月、生徒数の減少にはどうすることもできず、50年余りの歴史に終止符を打つこととなった。
(2)駒帰小学校におけるへき地教育
T、完全複式学級
複式学級とは、1、2年生を低学年、3、4年生を中学年、5、6年生を高学年とし、2学年の生徒が一緒の教室で学ぶというものである。生徒数の少ない学校では、普通に行われていることで、これによって、他の生徒との関わりを持ち、生徒数の少なさや、生徒の受ける寂しさを補おうとする。先生は、前と後ろの黒板で、学年ごとの授業を行う。ただ、学年で別の授業を受けるのは、算数、国語ぐらいで、社会や、理科は2学年が同じ授業を受けるし、体育に至っては、4年生から6年生が一緒に授業を受ける。体育は特に、人数が少ないと、スポーツなどできないから。
メリット:より多くの生徒とかかわれる
授業での発言の幅が広がり、生徒の意見がいろいろと聞ける
体育や音楽では、人数の少なさを補える
問題点:先生は一度に2学年に教えなければならない
それでも、人数は少なく、体育など、できるスポーツが限られた
私の意見:私自身、デメリットを感じたことはあまりなかったように思う。確かに先生が大変なのは感じていたが、その分生徒は、自主的に授業を進めるように努力していた。例えば算数においては、先生が算数ノートという小さな予定ノートをあらかじめ作っておいてくれて、それをもとに1時間に1人が交代で司会をつとめ、意見を出し合っていくという方法が取られた。そうすることによって、私たちには自主性と自分たちで協力するということが身についていったと思う。他学年とかかわるということは、大きな学校ではなかなか難しいと思うが、私たちは毎日他学年の生徒とかかわっていたし、互いに協力し、助け合うということが普通であった。
U、交流学習
へき地教育の大きな特徴のひとつと言えるのが、交流学習だ。小さな学校では、他地域との交流や、大勢の生徒と関われないのが大きな問題点である。そこで、市内にある同じような、へき地にある小規模小学校と交流学習を行って、生徒の経験を増やす、という試みが行われていた。私たち駒帰小学校の生徒は、3つの学校と交流を行っていた。俵小学校、朝日小学校、上平小学校の3つだ。特に、俵小学校とは、1ヶ月に1度の割合で、交流していた。図工、体育、音楽を主体とした学習であった。音楽では、金沢市で行われている、連合音楽会という演奏会に2校合同で出場するのが、毎年の行事だった。また、連合体育大会には、4校で1チームとなって出場し、リレー等、一緒にがんばった。それだけでなく、交流合宿や、社会見学、相手校を訪問するなど、様々なことを一緒に行った。この交流学習は、私たちにとって、大きな思い出の一つであり、経験の一つであったと思う。現在は、駒帰小学校と上平小学校の閉校により、俵小学校と上平小学校が交流を続けている。
メリット:他の学校の生徒とかかわれる
様々な体験ができる
友達が増える
問題点:市に費用がかかる
関わる回数が少ない
私の意見:交流学習によって、私たちは普段関わることのできない、他の小学校の生徒、先生と関わることができたし、連合音楽会は、みんなで一致団結して、楽しむことができていた。子どものころに、多くの人と関わる経験というのは、とても重要だと思う。他人と協調するということは、大人になれば、当然しなければいけないことだ。それを幼いころから経験し、身に付けることができたことは、交流学習の大きな成果であったと思う。みんな、交流学習を楽しみにしていたし、友達と早く会いたいとわくわくしていた。ただ、1年に6、7回というペースだったので、もっと、回数と時間が多くあれば、もっと多くのものを得られたとも思う。
V、地域住民とのかかわり
・ 連合社会体育大会
一年に一度、確か9月だったと思うが、赤組、白組に分けて、徒競走、玉入れ、綱引き、しっぽとり、ダンス、ムカデ競争、リレー等の競技を行う。全校生徒14人を2チームに分け、1チーム7人となるわけだから、明らかに、他の学校より少ない。だから、それを補うのが、父兄、もしくは地域住民だった。綱引きやムカデ競争、玉入れなど、14人ではできない競技を地域住民が一緒になって行った。生徒は少なかったけれど、両親はもちろん、卒業した兄弟、自分のおじいちゃん、おばあちゃんだけでなく、近所に住む人々が一緒になって競技にでて、応援していてくれたので、少しも寂しくなかった。準備、運営は先生方と保護者が協力して行ってくれた。
メリット:地域の多くの人々と関わることができる
みんなで一体となって楽しむことができる
人数の少なさを補える
問題点:雨天の場合、体育館で行うのだが、狭く、競技に限りがある
私の意見:運動会に関しては、いやだったことはなかったと思う。先生と地域住民、自分たちの力で作り上げていく良さがあったし、域の人と関われることが、何よりおもしろかった。普段あまり関わることのできない、地域のお年よりの方々と一緒に楽しむことができたのも、大きな良さであった。
・ 親子キャンプ
1年に1度、全校生徒と両親、先生方が集まり、近くにある少年自然の家というところで、キャンプをした。そこでは、テント設営、炊事、ゲーム、キャンプファイヤーなどを行い、自然に触れる大きな機会だった。もちろんごはんは飯盒炊きである。こげたりと失敗することがあったけど、自分たちで作ったそのごはんはとてもおいしかったのを覚えている。
その他に、青空教室、盆踊り大会が挙げられる。
W、校外学習
・ 様々な遠足
遠足は3ヶ月に1度行われていたように思う。春は花見遠足、夏は海や海浜公園、秋は紅葉見物やアスレチック公園への遠足、冬はスキー遠足といった感じだった。その中でも私が良く覚えているのが、小学校の校下で行われた遠足だ。それは、ウォークラリー形式になっていて、いくつかの班にわけ、校下に散りばめられた、地域に関するクイズを解いて、正解の数を競うというものだった。例えば、七草とは何かを考え、それを集めるというもの、弘法大師という人にまつわるクイズ、町の神社に関するクイズなど様々だった。それを通して、私たちはそれまで知らなかった自分たちの町のこと、自然のことを知ることができ、とても有意義な時間だった。その他の遠足もどれもとても楽しく、大変思い出に残っている。
メリット:地域のことを知ることができる
生徒同士、先生との距離を縮めることができる
生徒自身、とても楽しんでいた
私の意見:これはみんなに共通して言えることだと思うが、遠足の嫌いな人などいないだろう。みんな、とても楽しんでいたし、そこから学べることも多かったはずだ。
・ 写生大会
秋に行われる写生大会は、年毎に場所が変わるという形式で、場所は生徒が住む町、神社や、橋などだった。一日かけて、その絵を仕上げ、良い作品には賞が与えられた。これは、みなさんの学校でも行われていることだろう。
・ スキー合宿
冬の一大イベントといえば、やはりこれだった。スキー合宿が行われるまでに、体育の授業を利用して、みんなで歩いて近くの山まで、練習に行き、何度か、スキー場にも行った。そして、2泊3日のスキー合宿。石川県が運営する自然の家で過ごす。これを生徒はみな、とても楽しみにしていて、最終日には、リフト乗り放題ですべることができる。みんなで泊まるというのも楽しくて、トランプをしたり、ゲームをしたり、スポーツしたり、いっしょにお風呂に入ったりと、いろんなことをした。
私の意見:親元を離れて生活することになれていない低学年の生徒は夜になると不安になって泣いてしまう子もいて、そんな時、中高学年の生徒は、手を握ってあげたり、寝付くまで一緒に寝てくれたりしていた。そんな私も、その1人で、初めてのスキー合宿で夜になって、急に不安になって、泣き出してしまったのだが、6年生が、一緒に寝付くまで寝てくれて、元気付けられた。生徒数の少ないことの良いところはこのように、みんなが協力しあってとても仲良く学べることだと思う。高学年は、リーダーシップを取ることを学び、低学年は、自分が高学年になったとき、同じように下の子に優しくすることができる。
X、その他
・ 休み時間に・・・
休み時間には普通の休み時間と長休みというのがある。長休みというのは、昼休みと2時間目と3時間目の間の30分間の業間休みのことだ。私たちの学校では、長休みを利用して、全校生徒でスポーツをする。ドッジボールであったり、ラケットであったり、サッカーであったり、こおりおにであったり、缶けりであったりと様々だ。また、時には雪合戦もした。私たちの町には、北陸ということ、山間部であることから、毎年たくさんの雪が積もる。みんなで鎌倉を作ったり、雪を高く積んで、そりをしたりと様々なことをした。また、先生が持ってきてくれた、けん玉やめんこで遊んだりもした。先生と一緒に。先生は、スポーツやおにごっこなど生徒と一緒になって遊んでくれた。行間休みには、一輪車と竹馬の練習を全校生徒でした。おかげで、卒業した生徒のほとんどは、竹馬にも一輪車にも乗れるのだ。また、昼休み後には、みんなで竹踏みをした。土踏まずを作るためだったそうだ。
私の意見:先生方は、私たちにたくさんのことを教えてくれた。へき地にある小学校で育ったからといって、充分な教育が受けられなかったとならないように、私たちに多くのことを経験させてくれた。先生が一緒に遊ぶからといって、馴れ合いになるわけではなく、けじめはきちんとしていた。先生方は厳しく、やさしく、私たちに様々なことを教えてくれた。
・ 行事
2ヵ月に1度、何らかの行事が行われることも、へき地教育の特徴であったと思う。七夕祭り、おいもパーティ、クリスマス会、新年会、節分会、卒業生を送る会などなど、ほかにも様々な行事を行った。その中で、いくつか、紹介したいと思う。
おいもパーティー:自分たちで作った、サツマイモを収穫し、それを材料に、めった汁や、茶巾しぼり、石焼芋などを生徒自身の手で作る。
新年会:新年会では、旗源平というゲームをする。これは、石川県金沢市に古くから伝わる遊びだ。簡単に説明すると、平氏と源氏の2チームに別れて、2つのさいころを振り、出た目の組み合わせで、大中小異なる旗がもらえる。最終的に旗の点数が多いチームの勝ちだ。私たちのときは、男女別れて行い、とてもみんな真剣で、もりあがっていた。
卒業生を送る会:卒業生を送るために、各クラスと先生方が様々な出し物を行う。合唱であったり、劇であったり、一輪車での演技であったりと様々だ。卒業生を楽しく送り出すために、みんな、工夫をこらしていた。
私の意見:全ての行事を通して言えることは、行事を作り上げていくのは、あくまで生徒たちであって、先生はそれを見守ってくれる存在にすぎなかったことだ。計画から、立案、実行まで、高学年が中心となって、生徒たち自身で作り上げていくという形は一貫しており、自主性、積極性がそこから生まれたと思う。
B駒帰小学校の今後
そして、駒帰小学校について、今後の可能性について模索したいと思う。文頭でも述べたように、駒帰小学校は、平成10年、廃校となった。現在は、市の博物館の資料を倉庫代わりに置いているようだが、その運営は市の職員の方が行っており、許可なくは中に入ることはできない。今、その校舎は、地域住民に使われることなく、たたずんでいる。私は、せっかくあるその施設を何かに役立てることはできないものかと考えている。ある廃校施設では、その校舎を美術館にしたり、あるところでは、レストランにしたり、ペンションにしたりしているところもあるようだ。現在、廃校になってから、毎年、社会体育大会が、地域住民の運営で行われているようだ。きちんと競技の景品も出て、かなり大規模に行われている。1度卒業してから、同級生たちとその運動会に行ったのだが、若い人から、おじいちゃん、おばあちゃんもいて、みなさん、とても楽しそうだった。運動会の運営の中心になっている方々の中に、私の父もいて、「地域住民が集まれる良い機会だから」と毎年張り切っているようだ。私が行ったときの父は、とても楽しそうで、はりきっていた。また、父は、土曜に学校の体育館を使用して卓球をみんなでやれるようにしたいと考え、その実現に尽力しているようだが、運営面や管理面の困難から、なかなか許可がおりないようだ。しかし、こんな風にもっと多く、校舎を利用できる機会を増やして、私たちが育った校舎を大切にしていきたい。
Cへき地教育を受けて
・友人の意見(私の小学校時代の同級生に、駒帰小学校で受けた教育について、意見を聞いた。)
「楽しかった思い出は数え切れないほどあります。小学校が大好きだったし、あそこで育ったことは私の自慢です。自然に触れて教育が受けられて、学年男女問わず、先生も含め、みんな仲がよく、壁がなく、お互い何でも言い合えたと思います。小学校で受けた教育で悪かったところは全くなかったと思います。あえて言うなら、みんなが、仲が良すぎて、競争心みたいなものが生まれなかったことかなと思います。でも、私たちの学校では、一人ひとりの存在が大きく、人数が少ないだけに、低学年から与えられる役割が大きかったように思います。自分が果たさなければならない役割を通して、自信をつけることで、大きく成長することができたと思います。」(一部要約)
・自分の意見
私も、小学校が大好きだったし、あの学校で6年間過ごすことができて、とてもよかったと思う。自分自身がいる意味を、大きく感じることができたし、様々な教育、行事、人との関わりを通して得た経験は、今も自分の基盤となっていると思う。悪かったところはないと思うが、あえて挙げるなら、純粋な環境の中で育ったから、良い意味で本心を隠して話すということができなかったことだ。社会を渡っていくために、時には、感情を押しとどめて、話すことも必要であると思うから。でも、先生は、両親のようで、友達は兄弟のようで、だからこそ、互いに本心を打ち明けられたし、しかられたり、けんかしたりする中でも、学ぶものは大きかったと思う。これは、みなさんに共通することだろう。
3、様々な小学校でのへき地教育
T、俵小学校と朝日小学校におけるへき地教育
金沢市には、5つの複式学級を有する小学校がある。さらに、そのうち、へき地指定校に指定されているのが俵小学校と朝日小学校だ。そしてこの2校が交流学習を続けている。朝日小学校は現在14名、俵小学校は現在28名。1年に6回、交流を行っている。その内容は、図工、体育、音楽などの授業、社会見学、宿泊体験などだ。この交流学習には、市が協力していて、朝日小学校に、「金沢地区へき地教育複式センター」を設置し、センターを中心に交流学習はとり行われている。朝日小学校には、遠くから通う子ども3人のために、スクールバスが運行されている。金沢市では、スクールバスは9校、145名が使用しており、駒帰小学校は犀川小学校に統合されたのだが、駒帰小学校校下であったところの子どもたち7名も使用している。
U、都城市立吉之元小学校
吉之元小学校は、宮崎県都城市の北西部にある町、吉之元町にある。全校生徒は16名、先生は7名の小さな学校だ。
この学校では、へき地研究を行っており、その活動は多岐にわたっている。その活動をここで紹介したいと思う。研究主題を、「人や自然とのふれあい活動を通して、ふるさとを愛し、生きる力を育む児童の育成」におき、平成13年度は年間70時間を総合的な学習にあて、その実践を目指している。全校生徒で行う活動では、テーマを2つ設定し、「野菜を育てよう」では、土づくりから種まき、収穫まで児童自身で行い、最後にその収穫した作物を料理して食べるようだ。もう1つ、「地域とふれ合おう」では、運動会やふれあい活動、学習発表会の紹待状の作成を行っている。中学年の「吉之元ってどんなとこ?」の活動では、活動計画作りに始まり、『川に出かけよう』、『山に出かけよう』、『リサイクルってなーに?』と題してその活動を行っている。さらに高学年では、「いろいろな友だちをつくろう」をテーマとして、他校の児童、高齢者、外国人との交流を行っているようだ。それらにおいて、準備、まとめ、発表も児童に行わせて、自主性を育てていく姿勢がすばらしいと思う。
その他にも、近くにある4つの小学校と合同で、「こいのぼり運動会」と題し、運動会を行ったり、青空給食や親子キャンプ、お年寄りとふれあい活動を行ったりと様々な活動をしている。
4、へき地教育に関わる団体
全国へき地教育連盟
この連盟は、各都道府県へきち教育研究団体の活動を促進し、関係機関団体との連絡を密にして、へき地学校、小規模校、複式学級を有する学校、分校等の教育の充実をはかり、へき地における教育の振興をはかることを目的としてその活動を行っている。へき地教育に関する研究大会が様々な地で行われているようだが、その詳しい内容は、紹介されていなかったが、へき地教育研究には、様々な地域の教育委員会がかかわっているようだ。さらに、へき地指定校のリンクが紹介されている。
5、まとめ
私は、今回、へき地教育について調べ、自分自身でも新たに発見できたことが数多くあったように思う。へき地教育では、様々な経験をすることができる。誰しも、小学校時代の思い出は、強く心に残っていると思う。今、へき地教育を受けている子供たちも、みな、大きくなって振り返ったとき、大きなものを小学校で得たと思えるはずだ。だから、今後、へき地にある小学校、小規模校が多くの人に理解され、残っていってほしいと思う。私は、今回、へき地教育について調べて、自分たちの力で一から何かをつくりあげて行くという小学校は、私たちにとって、小さな自治体のようなものだったのかもしれないと感じた。何かを感じ、それを形にしようとするみんなの力が集まって、一つのものをつくりだすことは、大きな意味を持つ。主体となる生徒がいて、それをサポートしてくれる先生がいる。この形は、市民がいて、それをサポートする自治体、行政があるということに似ていると思う。私たちの小学校において、生徒が自ら考え実行していくことが重要であったように、社会においても、市民が自ら、考え、実行していくことが重要なのだと私は思う。私たちが今勉強している地方自治というものは、そんなふうに、大きな意味を持っているような気がする。
へき地教育が今後、より多くの人に知ってもらえるよう、また、これからも続いていくことを願って、このレポートを閉めたいと思う。そして、私自身、へき地教育の探求を進めていきたいと改めて感じている。
参照HP
へき地教育が行われている小学校
http://www.ishikawa-c.ed.jp/~asahie/
金沢市立朝日小学校のホームページ。
http://www.ishikawa-c.ed.jp/~taware/
金沢市立俵小学校のホームページ
http://www.bonchi.jp/yoshinomoto/
都城市立吉之元小学校のホームページ
その地で懸命に生きる小学生、またへき地教育の模様を簡単に知ることができる。そのホームページを見たら、きっと、彼らを応援したくなるだろう
http://www4.ocn.ne.jp/~x59y91/
全国へき地教育連盟のホームページ
リンクから様々な地域のへき地教育を知ることができる